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航空大学校について

沿革

輝く実績と功績。そして次世代へ…
 わが国の民間航空は、昭和27年平和条約の発効とともに、再開されることとなったが、終戦後7年の空白期間に航空機の性能は飛躍的に向上し、航空保安施設も近代化が進んでいた。このため、航空従事者には高度な技術と知識が要求されるようになり、一刻も早く、新しい技術を習得した要員の育成が待たれる情勢になった。
 このような情勢から、航空機操縦士の養成を国が実施することとなり、昭和29年7月、運輸省の附属機関として、航空大学校が宮崎市に設立され、同年10月開校された。
 本校における養成内容は、航空機操縦士の基礎教育を行うもので、その課程は、計画的新人養成を目的とする本科と、経験者を対象とする専修科とでなっていたが、この専修科は、経験者という制約があったため、昭和33年3月で廃止となった。
 本科の養成規模は、入学資格を短大卒とする当初の10名から昭和33年度に30名に、昭和43年度からは入学資格を高校卒とする90名、さらに昭和46年度には135名と逐次拡大されたが、これに伴ない飛行訓練空域等が宮崎1ケ所では不足することとなったため、昭和44年度には仙台分校、昭和47年度には帯広分校が開校された。
 昭和49年度後半以降、社会経済情勢の著しい変動により、航空大学校の養成規模は、昭和51年度入学生から108名に減員された。その後、昭和53年度からは本科98名となったほか、小型機産業航空界の発展等に伴い養成人員10名の回転翼操縦士基礎教育を行う別科が新設された。なお、別科の回転翼操縦士に係る飛行訓練については、防衛庁に委託して行われることとなった。
 昭和62年度から、第四世代航空機の出現等、航空機に係る最近の目覚ましい技術革新、運航環境の変化等に伴い、入学資格を大学2年修了以上(同等以上を含む)とするとともに、航空電子等の航空技術に関する専門教育の充実を図ることとなった。
 また、仙台課程における訓練機として、双発ターボプロップ機ビーチクラフト式C90A型機(社団法人航空機操縦士養成振興協会より無償借受)を導入した。
 平成元年度から、従前まで防衛庁に委託して行なって来た別科の回転翼飛行訓練をヒューズ式 269C型導入のうえ新たに本校において実施することとなった。
 平成4年度から、宮崎課程の訓練機として、ビーチクラフト式A−36型機(社団法人航空機操縦士養成振興協会より無償借受)を導入した。
 また、平成6年度には帯広課程の訓練機も同機種に更新し単発機課程の訓練機種を統一した。
 平成5年7月12日、「本科」及び「別科」の名称は、それぞれ「飛行機操縦科」及び「回転翼航空機操縦科」となった。
 平成6年度に、スピン訓練機として、スリングスビー式T67M・MK II 型機を宮崎課程に導入したが、平成7年度に同機材を帯広課程のスピン体験機とした。
 平成10年度学生募集をもって、回転翼航空機操縦科学生の募集を中止した。

 平成14年度からは、パイロットとしての資質を持った数多くの応募者を受け入れるため専修学校の専門課程を修了し、専門士の称号を付与された者を入学資格に加えた。なお、平成13年4月に航空大学校は、国の直接運営から離れ、「独立行政法人航空大学校」として、修業期間を2年4ヶ月から2年に短縮し、新たな出発をした。